8.ゆかりの人など

e-こがねいじてん
大岡昇平川崎平右衛門定孝上林暁皇太子殿下小金井御仮宮所跡小金井小次郎下村湖人永井銀治郎頌徳碑「武蔵野夫人」友愛塾
ゆかりの人など


【大岡昇平】(おおおかしょうへい)
  (明治42年3月6日〜昭和63年12月25日)

小説家。東京都出身。小林秀雄、中原中也、河上徹太郎、今日出海 (ひでみ)らと親交がある。太平洋戦争の従軍体験をもとに戦争文 学の傑作を生みだし、「俘虜記」「野火」「レイテ戦記」などの作品 がある。また、昭和23年1月から11月まで小金井に滞在。「はけ」 の自然を舞台に、フランス心理小説の流れをひく恋愛小説「武蔵野夫人」を書いた。


【川崎平右衛門定孝】(わさきへいえもんさだたか)
(1694〜1767)
 江戸時代中期の元文4年(1739)、多摩郡押立付(現・府中 市)の名主から、幕府の新田世話役に取り立てられ、武蔵野新田82 か村の開発に尽力し、のち美濃(岐阜)に転じ代官になった。寛 政7年(1795)に関野新田、鈴木新田をはじめ周辺の農民が彼の徳 をたたえて造立した供養塔(市指定文化財)が真蔵院にある。



【上林暁】(かんばやしあかつき)
(明治35年10月6日〜昭和53年8月28日)

 小説家。高知県出身。昭和20年、妻が精神の病で市内の聖ヨハネ会 桜町病院に入院。以後長期にわたる看護生活をまとめた私小説「聖 ヨハネ病院にて」は、「病妻物」といわれる連作の一つ。献身的な 愛情と感傷を排した描写で深い感動を呼ぶ。他の作品に「欅日記」 「薔薇盗人」がある。



【皇太子殿下小金井御仮寓所跡】(こうたいしでんかこがねいごかぐうしょあと)

 現都立小金井公園内に、昭和21年東宮仮寓所(仮御所)と学習院 中等科が開設された 。現天皇は、同地で中等科時代を過ごされたが、 昭和24年仮寓所は焼失。現在は記念碑のみが立っている。



【小金井小次郎】(こがねいこじろう)
(1818〜1881)

 下小金井の名主を勤めた関家の次男として生まれ、波乱に富んだ 生涯を送った。子分3千人をもつ大侠客で、新門辰五郎の兄弟分と いわれる。三宅島に流刑されたおり、大きな貯水井戸を作るなど島 の開発に尽くした。小次郎の墓が中町の西念寺の南側の鴨下家墓地 にある。墓の近くに「小次郎桜」と呼ばれた樹齢百数十年のシダレ サクラがあったが、枯死し、平成4年伐採。



【下村湖人】(しもむらこじん)
(明治17年〜昭和30年)

 自伝的小説『次郎物語』で知られる小説家で、教育家でもあった。 昭和8年から12年まで、(財)大日本連合青年団の青年団講習所長 として、指導者養成のための青年教育にあたった。浴恩館(現文化 財センター)と空林荘は、当時使われた建て物で、『次郎物語』第 五部の舞台として描かれている。



【永井銀治郎頌徳碑】(ながいぎんじろうしょうとくひ)

 永井銀治郎は人力の車夫を営むかたわら、自らの生活をきりつめ、 収入の一部を学用品等に替えて小学校に寄附し、貧しい子供たちを 援助した篤志家。昭和13年、東京府知事から表彰され、亡くなった 昭和15年に婦人会の募金で氏の徳を偲び建てられた碑が第一小学校 校庭にある。なお、墓は真蔵院墓地にある。



【 「武蔵野夫人」 】(むさしのふじん)

 土地の人はなぜそこが「はけ」と呼ばれるかを知らない。‥‥と いう書き出しで始まる大岡昇平の恋愛小説。昭和25年発表。
野川沿 いの「はけ」を舞台としており、湧水の描写、貫井神社を経て国分 寺の恋ケ窪までの散策の描写には、昭和23年に中町1丁目の旧友 宅に身を寄せていた彼の自然観察がいかされている。



【友愛塾】(ゆうあいじゅく)

 下村湖人の名作「次郎物語」第五郎の舞台。現在の文化財センタ ー(旧浴恩館)がモデル。下村湖人は、昭和8年から4年間にわたっ て青年団講習所の所長として、浴恩館で青年教育にあたった。