1.道・坂・橋

道 |五日市街道江戸道小金井街道陣屋道新小金井街道薬師道はけの道
坂 |質屋坂念仏坂ムジナ坂くらぼね坂
橋 |茜屋橋くらおね橋小金井橋陣屋橋関野橋ニ枚橋


【五日市街道】 (いつかいちかいどう)

 市の北端、玉川上水沿いを走る現在の都道主要地方道7号杉並五日市線の呼称。江戸初期からあ る街道が発展した。五日市の木炭や周辺の村の農作物を江戸に供給するルートであったが、五街道に 準ずるような幹線道路ではなかった。古くは砂川道、青梅街道脇みち、小金井道、五日市みちなどと 呼ばれていたが、明治以降、五日市街道に定着。


【江戸道】 (えどみち)

 市の中央部を東西に走る現在の都道134号線、連雀通りともいう。
かつては、江戸道といって、江戸と恋ケ窪(国分寺市)方面を結んでいた古い道であり、沿道には市 内の主要な史跡が点在する。


【小金井街道】 (こがねいかいどう)

 市内を南北に貫通し、府中と清瀬方面を結ぶ道路(都道15号線)。
前原町5丁目から武蔵小金井駅の 脇を通り、玉川上水にかかる小金井橋に至る。JR中央本繰をまたぐ踏切は朝のラッシュ時に「開かず の踏切」として、市内南北の交通を大きく阻害している。


【陣屋道】 (じんやみち)

 陣屋橋からほば真南に中町まで通じている道で、かつて関野新田開発に功績のあった下小金井村名 主関勘左衛門や村人たちが陣屋に通ったことから名づけられたと伝わる。


【新小金井街道】 (しんこがねいかいどう)

 滄浪泉園、武蔵小金井電車区の脇を通り、玉川上水にかかる茜屋橋に至る道路(都道248号線)で、 市内西部を通る。府中と小平方面を結び、市内の南北交通をになう主要道路の一つ。


【はけの道】 (はけのみち)

金蔵院から二枚橋に通じる約2kmの道。大岡昇平の『武蔵野夫 人』の舞台となったことから、昭和48年に「はけの道」と愛称を付 けた。「はけ」とは、国分寺崖線と呼ばれる段丘崖のことで、古多 摩川の浸食によって、武蔵野にできた台地の武蔵野段丘と、その一 段低い立川段丘の問の崖を指し、西は立川市の北東付近から、東は 世田谷区の野毛町付近まで延びている。 


【薬師道】 (やくしみち)

 市立第二中学校の東の坂(中念坂)から貫井南町、国分寺市東元 町をへて、国分寺薬師堂に至る道。
かつて薬師道といわれ、薬師参詣の道として栄えた。


こがねいギャラリー 【小金井の坂】


【質屋坂】 (しちやざか)

 達雀通り(都道134号線)と、小金井街道の交差点付近(前原町)にある坂で、この道は埼玉県志木 と府中を結ぶ旧志木街道にあたる。
幕末から明治にかけて、旧下 小金井村の星野家が開いていた質屋があったのでこの名がある。


【ムジナ坂】 (むじなざか)

 昔、この坂の上に住む農民が、田畑に通った道で、両側は山林の細い道であった。  だれいうとなく、この道をムジナ坂といい、暗くなると化かされるといって、怖がられ遠回りをした。


【くらぼね坂】 (くらぼねざか)

 今の貫井北町や小平、国分寺方面から府中方面に行くこの道は、急坂の東が切り立つような赤土の崖で、雨の降る時などは人も馬も滑って歩くことができなかったといわれる  鞍(馬)でも骨を折るとか、「くらぼね」は断崖の連続した段丘崖を意味するともいわれがある。


【念仏坂】 (ねんぶつざか)

薬師通りを市役所に向かって入ったところで、昔の江戸道(現都道134号線)と通じ、農民が便利 にしていた古い坂。途中に墓地があり、人はいつしか念仏を唱えながら通ったので念仏坂と呼ばれる ようになった。


【茜屋橋】 (あかねやばし)

 玉川上水沿いの五日市街道 と新小金井街道が交差する小金井市 と小平市の境付近にある橋。橋の袂にある島田家(屋号あかね屋)が 明治元年に自前で架けた橋といわれ、染料となる茜草を商っていた ことによる屋号、橋名であるという。現在の橋は、昭和53年架設。


【くらおね橋】 (くらおねばし)

 野川にかかる市内で一番西にある橋。雨が降ると急な坂で人も馬 も滑ったという「くらぼね坂」にちなんだ橋名「くらぼね橋」が転じたともいう。


【小金井橋】 (こがねいばし)

 小金井街道が玉川上水を渡る地点に架かる橋。元文11年(1737)、 この橋を中心に東西6kmにわたって約1.000本の桜が植えられ、 以後江戸の花見の名所として江戸名所図絵などに描かれた。


【陣屋橋】 (じんやばし)

 玉川上水に架かる橋。かつて陣屋があった南に流れる玉川上水に架かっていた橋。現在の陣屋橋は 昭和49年、当時の場所から数十メートル西側にかけ替えたもの。


【関野橋】 (せきのばし)

 玉川上水に架かる橋。橋名は「関野新田」にちなむ。現在の橋 は、昭和41年3月の架設。


【ニ枚橋】 (にまいばし)

 野川に架かる橋で、江戸時代から小金井と人見(現府中)を結ぶ 重要な交通路にあたる。橋名は、野川に身を投げた娘が蛇に姿を変えて災いをし、橋が2 枚に見えたことからという。