このあたりは、鈴鹿川と安楽川との合流点で、度々氾濫し大きな被害を受けていた。文政12年頃( 1,829)神戸範に何度も修築を申し出たが、許されず、女性達が禁を犯して堤防を補強したことを示す石碑 がある。また、「是従東神戸領の道標」もある。