古郡重高・重政・重年の父子三代が、新田開発と富士川治水のために築いた巨大な堤。延宝2年 (1,674)に完成するまで50余年もかかる難工事で、富士川を渡ってくる千人目の巡礼が人質になった という。雁が連なって飛ぶ様子に似ていることから雁堤と呼ばれている。