旧小休本陣常盤家弥兵衛は慶長7年(1,601)年に対岸の川成島から岩淵村に渡船役が移住した時、 村方渡船名主と小休本陣を務めていた。
新豊院の山門は延宝7年1(1,649)の建立で切要造り桟瓦葺で本柱が門の中心線から前方にずらして 本柱と控え柱を結ぶ梁の中間の上に束を立てて屋根に乗せる薬医門の形式は城門の一種で重圧感があ る門である。なお、門の額「光福山」は明からの帰化僧「心越」の書である。
江戸から37里目にあたる一里塚。左側の塚はほぼ往時ままの塚として残っている。右側に榎の 巨木があり、木は江戸後期のものとされている。