府中押立村の名主川崎平右衛門定孝は、享保年間(1,716〜1,735)に、現在の小金井市東町4丁目一帯に押立新田を開発し、「武蔵の新田世話役」時代の延亨4年(1,747)、押立新田の半分にあたる10町2反歩(約10万2千平方メートル)の土地を幕府に献上し、栗を新田の特産品とするため御栗林を造り、付近の武蔵野新田10ケ村(下小金井・関野・梶野・井口・野崎・大澤・境・関前・上保谷・田無)に管理を任せた。 川崎氏の業績を記した「高翁家緑」等によると精選した2千粒の栗を幕府に献上し(御上栗)、残りを食料として10ケ所の新田の他、付近の新田にも配った。 御栗林は、嘉政13年(1,801)、寛永5年(1,853)等に大規模な植え替え更新がおこなわれ、幕末まで存続した。昭和34年の町名変更まで、「十ケ新田」・「栗林」の小字名があった。今でも「栗山通り」「くりのみ保育園」等の愛称に名残を留めている。