会報「美しい小金井」創刊号からピックアップ 


 
 

                                   京都で出会ったこと
                                            編集長 大木 薫

      先日、京都方面に旅行中、JR嵯峨嵐山駅前のベンチで喫煙中の五人(うち女子二人)の高校生がいた。
   そうとう長い時間喫煙していたらしく、寝そべって喫煙している生徒もいる。
  「君達高校生が喫煙してはいけないだろう」と私。「関係ねえだろう。人に迷惑をかけているわけじゃねし
   」と反論してきた。「そうかな、君達の喫煙は社会が許していないし身体にも悪い。それをたしなめるのも
   人の先輩として当然だろう。」と私。こんな問答を繰返した後、女生徒が「みんな大人は、何も言わないの
   に、あんただけが何故よけいなことを言うのか」という意味のことを関西弁でまくし立ててきた。制服の喫
   煙高校生をたしなめない現在の世相がおかしいのはたしかだ。
  彼等は毎日喫煙しているといった。「君たちの バカげた行為をたしなめない大人が間違いだし、それを
   注意されたら有り難いと思いなさい」ときつくいったら、ようやく彼等はその場を立ち去った。私は、高校
  生の喫煙や電車やバスの優先席を占領し年寄を立たせている若者も必ず立たせる。
  マスコミは、「若者は何するかわからない」といった情報を流す。それが彼等の喫煙に市民権を与える結
  果になっている。怖がらず彼等に注意しなくては、高校生(中学生喫煙を止めることは出来ない。みんなで
  遠慮なく注意し学校での禁煙教育を徹底し高校生禁煙の"市民権"をなくしていこう。美しくする会の活動で
    も無法者に遠慮せず注意しよう。


                                                                        


                     短 歌

         梶野町 稲垣 元博                  緑町 小山 敏雄

  小金井を美しくする会のボランティア       持参した袋一杯ゴミあふる
          ハケのこみちの空き缶拾う          おりしも風に空袋が舞い来る

  ならくぬぎの落ち葉ちりしくハケの道       舞い来るを有り難きとは逆さなり     
        ボランティアらの空き缶拾い         源を絶つこと今后の仕事
  
  落ち葉散る野川公園でバーベキュー        ゴミ拾い教頭さんが駆けて来て
        空き缶拾いのボランティアたち        何時もと言って頭下げらる

  空き缶を拾い続けて二十年            モンゴルの遠来の児童(こ)が友を得て
        其の数ざっと七万ニ千            今朝うれしげに語らいて登校(い)く

 
                     俳 句

                  前原町 古閑 英子

  清掃作業                    かれすすき
    拾ったあとの                  野川のほとり
      さわやかさ                   冬景色

                                                                       

 

                    八十路の尾瀬
                                       ドクター 稲垣 元博

  昨年10月のことだ。仲間達17名と、尾瀬湿原の紅葉狩りに参加した。鳩待峠から山の鼻まで下り、狭
 い木道を歩き続けて温泉小屋に1泊した。2日間で15キロ、7時間半のハイキングだ。八十路でも、毎日1万
 歩を歩いて、トレーニングに励む身には、たわいないコースだ。
  私は狭い木道を写真を撮りながら歩く。木道の両側は、燃えるような紅葉が展開する。
  ところで、この道の両側には、吸い殻1本落ちていない。地元の人や全国で6万人のボランティア達が交代
 でゴミ持ち帰りを呼びかけ、火挟みとビニール袋を持って毎日拾い続けているという。日本にもこんなに自然
 を守るために努力しているところがあったかと、感動に打ち震え、しびれるような思いだった。
  真青な秋の空、その中に至仏と燧の両親に抱かれた尾瀬こそは、地上の天国であり環境の聖地である。
                                                                         
                



                 日々是好日   
                                        編集長 大木 薫

  静岡県西海岸で育ったが、小学校の頃、氏神様の清掃や村の道路の清掃は子供に仕事として受け継がれて
 いた。6年生の指導で、3年以上の子供達が当然のようにこれに参加した。今ふうにいえば「ボランティア
 活動」だろうが、その頃はそんな気負いもなく自主的にやっていた。村の人がそこを通るときご「苦労さん」
 と声をかけていたのも印象深い。この作業を通じて学年を超えての付き合いに教えられるものも多かった。
 ◆ところで、私の近くの小学校や中学校の周りの道路の植え込みに、空き缶や瓶などが投げ込まれている。
 「なぜ子供達にやらせないのだろう」と思っている。この清掃での教育上のメリットははかりしれないほど
 大きいはずだ。PTAの人達が「奉仕労働」をしているのを見るが、子供にやらせて欲しいと思う。先生の
 話だと子供にやらせるとクレームがつくそうだ。「交通事故にあったらどうする。」と、しかし、今欠けて
 いる教育問題に「清掃」は格好の教材だ。勿論交通への配慮をして。